きりめも
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自分は高校は地元一の進学校に行っています。自分にはその高校に行きたいという希望はありませんでした。それなりに勉強をした理由は、もしその高校に入らなければ両親に殺されると本気で思っていたからです。この時の勉強は努力ではありません。例えば道を歩いていて強盗に襲われて全力で走って逃げたとします。この時の全力の走りは果たして努力でしょうか?これは報いのないガマンとでも表現すべきものです。危機を回避するためにガマンが必要なときもあります。しかし人間はこのようなガマンを生涯にわたって続けることは不可能です。
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勇者は酒場で仲間を見つけてパーティを作り、街の外に出て仲間と力を合わせてモンスターと戦ってレベルを上げます。傷つけば母親の待つ実家に泊まって体力を回復します。レベルを上げている内に体力の最大値は増え、回復魔法も覚えて、実家に泊まる必要がなくなります。そして魔王を倒します。これが普通の人の人生です。
酒場で仲間になることを誰からも拒まれたり、モンスターとの戦闘で味方であるはずの仲間から攻撃されるのがいじめです。傷ついて実家に泊まって体力を回復しようとしたら、母親に宿泊を拒否されたり、母親から攻撃されて回復ができないという状況が虐待です。このような状態で自分が勇者であると信じられなくなった勇者が「生ける屍」です。体力が「安心」です。回復魔法が内在化した両親です。実家に泊まる必要がなくなった状態が自立です。
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ネット上での自分に対する批判で「愛してくれなかった」と感じてきたとしても、チャンスはあったはず」というものがありましたが、このような批判は全く無意味です。子供はよほど酷い身体的虐待でも受けなければ「愛してくれなかった」と認識できません。自分もそのようなことは考えませんでした。ですから「愛してくれなかった」ことにより無意識裡にその後の行動に大きな悪影響が与えられていることにも気がついてません。
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laster:

キラ速-KIRA☆SOKU- 2次元美少女画像スレ part2
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これには例えばtoggetter民と呼ばれるtwitterでのよろしくない言動をまとめては拡散し、ツイート主を糾弾する活動に血道を上げるようなタイプも含みます。もっと広げれば、事件のニュースを見聞きしてはとにかく極刑や厳罰化を支持するタイプの人です。これの究極的な事例がコンビニや飲食店のバイト従業員がふざけて撮影した写真をネットに載せて、それに殺人犯に対するそれと見紛うばかりの批判と糾弾が殺到したバイトテロ騒動です。自分は、
「少年や若者の重大犯罪が減り過ぎて叩く対象に困って、この社会はとうとうしょぼいイタズラまで重大犯罪扱いして叩くようになったか」
などと思っていました。toggetter民や炎上に糾弾側として参加したがる人は物事のサブスタンスにほとんど興味がないように自分には見受けられます。批判対象にとにかく執拗に「行儀のよさ」ばかりを求めているように思えます。自分には「行儀がよい」ことを即ち「民度が高い」と完全なイコールで考えるこの国の多数派世論がどうしても理解でません。一定の範囲までなら若者のいたずらにも寛容であり、必要ならば行儀悪く振る舞ってでも政府や大企業の横暴に抗議できる人間が多い社会の方がよほどまともだと思えるのです。
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自分にはネトウヨ化の薬もあまり効きませんでした。なぜかと申しますと自分は子供の頃から日本人が嫌いだったからです。なぜなら自分を酷い目に遭わせた人間が全て日本人であることに気がついていたからです。そして何より自分が日本人だからです。こんなタイプの人間がネトウヨになれるはずがないのです。
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さらに自分は子供の頃に好きになったものを片っ端から両親に禁止されるという体験をしています。その影響で自分の心に「自分の好きなものを必ず禁止する両親」が完全に内在化していました。何をしてても両親に禁止されるような気がしてビクビクしてしまい心の底から楽しめないのです。これは大人になっても続きました。自分が週刊少年ジャンプを初めて購入したのは父親が他界して10年後の27歳の時でした。本屋の前に着くと「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいと頼んで父親に殴り飛ばされた小4の時の記憶がフラッシュバックしました。本屋の前をウロウロしながら4時間くらい逡巡した揚げ句にやっと買うことができました。マンガ雑誌1冊を買うのにこの有様なのですから、自分はオタク化の薬が極めて効きにくい体質でした。
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(Source: paierinho)

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sukumizu-girl:

新井愛瞳

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新井愛瞳

(Source: maana1119)